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「テヘランでロリータを読む」
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    イスラーム革命後のイラン、大学を追われたひとりの女性知識人は、「ロリータ」「グレート・ギャツビー」などの禁じられた小説を読む、女性だけの読書会を開く。監視社会の恐怖のなか、精神の自由を求めた衝撃の回想録。

    すごく面白かったです。ただ、ちょっと分からないことが多すぎてうまく言いたいことがまとまりませんでした。メモ書きみたいな感じにしておきます。

    分からないことが多すぎるというのは、悲しいことにこの本に出てくる外国文学をことごとく読んでいないので、著者が語る小説のシーンをおぼろげにしか想像することができず、思う存分共感できなかったことです。

    イランという国についてもよくわかってません。イスラームのことも。複雑すぎるし、ちょっとネットで調べてみたけど、外側の歴史はわかっても、どうしてこんなにこじれた国家になったのかはよくわからない。

    わたしも著者のような先生の講義をうけてみたかったなあと思います。自分の中にもっとたくさんの自己が持てたと思う。いろんな人のいろんな面を観察できたと思います。
    わしが好きな著者の台詞はこれ。↓
    「人を判断するときはその人格のあらゆる面を考慮にいれなければならない。文学を読むことで、人は始めて他人の身になり、時に矛盾する他者のさまざまな側面を理解することができ、人に対してむやみに無慈悲にならずにすむ。文学という領域の外では、個人の一面だけが示される。だが、彼らの別の面も知れば簡単には殺せなくなる・・・」
    「想像力とはすなわち共感の能力のことです。他者の経験のすべてを体験することは不可能ですが、フィクションの中でなら、極悪非道な人間の心さえ理解できるのです。いい小説とは人間の複雑さを明らかにし、すべての作中人物が発言できる自由をつくりだすものです、この点で小説は民主的であるといえます―――民主主義を主張するからではなく、本質的に民主的なものです。」

    文学を論じるうちに、国家に対する不満、信仰の問題、女性問題と、政治的な問題とが切り離せなくなってきて、イランという国の深い問題が浮き彫りになってきます。
    イスラームは若者に想像力の欠如を促しているだけじゃないのか?
    でも実際はそんな短絡的なものではなかったり・・・。何が原因で本が自由に読めない国になってしまったんでしょう。いつから続いているんでしょう。
    読書が思い通りに出来ない国にわしは住みたくない。日本でよかった。

    本だけじゃなく、女性が頭髪をさらすのもだめだし、リンゴをまるかじりしただけでなじられたり、学校の階段をかけ上っただけで訴えられたり。
    そして現体制への忠誠と奉仕を強制する。
    そんな国で想像力が育つはずもない。国を発展させる人材より、国のために死ねるコマを育てるだけの国家?そんなのは嫌だなあ。
    優秀な知識人はみんな外にでていっちゃうぞ。欧米に立ち向かうための知恵がテロ攻撃しかないのはツライ。

    イランは女性にとって生きにくい国だなあと思いました。
    男はその気になればいつでも女と離婚でき、8歳の女の子とも結婚して性交渉をもつことができる。(今はそうじゃないようですが
    まあ、日本でも13歳の女の子と結婚した人もいるわけで、ロリコンはある意味文化なのかもしれません。
    かといって男にとってもいい国なのかどうか・・・。
    理性の足りない生き物として女性から軽蔑されてるんだしな。女性とは目も合わせられないし。さわったら罰せられるし。なんかかわいそうだ。
    男性がこの本を読んだらまた私とは違った意見をもつかもしれません。

    課題の小説を語るうちに自分の結婚観や愛について赤裸々に語りだす女性たち。そこには常に体制への不満と男に対する性の不満があります。

    勉強会に集まる女性でアージーンとナスリーンが印象的でした。
    アージーンはちょっとヤだな・・・。ナスリーンは共感するところがちょっとありました。国は違えど考えることは同じだなあ。

    ま、とりあえずフィッツジェラルドとオースティンくらいは読んどかなきゃな。


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