どうしよう・・・物凄く感動して感想が書けません。
明日書きます。
とりあえずすっごく感動しました。(9.21)
というわけで後日感想文。(9.22)あんまりまとまっていません。
恩田 陸著
集英社 (2005.6)
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出版社 / 著者からの内容紹介
舞台は20世紀初頭の東北の農村。旧家のお嬢様の話し相手を務める少女・峰子の視点から語られる、不思議な一族の運命。時を超えて人々はめぐり合い、約束は果たされる。切なさと懐かしさが交錯する感動長編。
「光の帝国」という短編の中で、とある旧家に春田家の書見台があることが触れられていました。今回はその旧家槇村家のお話です。
すべてを知って、受け入れて、それでも笑顔いられた聡子にすごく感動しました。
自分の運命がわかるってどんな気持ちなんでしょう。
それでもみんなを守った聡子。
そして後を峰子に託す。命をかけて。
この常野物語のシリーズは、いつもそう。
誰かが誰かの心を引き継ぎます。かならずつながりがあるのです。
目的、とか志、とかじゃなくて、心そのものを引き継ぐというか・・・。
わし、一族の歴史というキャプションにそもそも弱いのです。
「遙かなる歌に耳を澄ませよ」でもそうでしたが、人間一人が生まれ、生きていくのには何十人、何百人のご先祖様と他人が関わっています。
誰かが死に、誰かがそれを引き継いで、誰かがまたそれを引き継いで・・・・
いろいろな人の死の上に自分が立っているということ。
「生きる」ということは、とても大きな営みであるということ。
ちょっと人間という存在の営みについて考えるようになりました。
この営みには義務というものがありません。生きていくかぎり、当然行われるものです。
そして誰かの命が終わるとき、他の誰かがその人の命を引き継ぐのです。
思い出でもいいし、仕事でもいいし、すべては連綿と繰り返されていく。
春田一族は『しまう』ことでいろんな人の心を引き継いでいってるんじゃないのかな。
それこそ旧石器時代から人間はずーっと何かを引き継いで、繰り返して現代まで生きてきたのです。
そんな深い歴史を『しまえ』る春田家はとても特別な存在のように思います。
人々の迷い、悲しみ、感謝、愛情、人生すべて『しまう』ことのできる春田家。
けし粒のような存在の自分でも、『しまって』もらえる。自分が死んでも、自分のことを『しまって』くれているあの人たちがいる。
そんな存在が春田家。
最後、峰子があんな絶望の淵で光比古を思い出したのも、それだけ彼ら一族を俗から超越した存在のように思っていたからじゃないでしょうか。
あの暗黒の時代。
その暗闇を照らす一筋の光が、峰子にとっては光比古君だったのか。
常野=希望 という図式が自分の中にはあります。
「光の帝国」ではその暗黒の時代をすぎ、平成で再び春田家が読者の前に現れる。
以前とかわらない彼らの様子に、時間を超えて流れる不変な何かを感じます。